広島市の中心部の中区中島町にある公園。1945年(昭和20)8月6日に投下された原子爆弾の爆心地近くに位置する。広島平和記念都市建設法(昭和24年法律第219号)の制定を受けて、1950年(昭和25)に着工され、1954年に完成した。同公園一帯となった中島地区は、幕末から大正初期にかけては広島市を代表する繁華街であり、多くの人々が暮らしていた。原子爆弾の投下により、地域のほとんどの住民が死亡し、地下には焼け焦げた地層が残る。丹下健三(たんげけんぞう)らにより園内の広島平和記念資料館などの建物、広島平和都市記念碑(通称、原爆死没者慰霊碑)、原爆ドーム(旧、産業奨励館)が平和大通り(通称、100メートル道路)に対して垂直な一本の軸線上に配置され、原爆ドームを公園の中心と意義づけて設計された。園内には世界遺産として登録された原爆ドームをはじめ、被爆した親柱が残る元安(もとやす)橋、広島市平和記念公園レストハウス(旧、燃料会館)などの被爆建造物もある。2007年(平成19)に第二次世界大戦後に整備された公園として初めて国の名勝に指定され、翌2008年の追加指定で公園のほぼ全域が名勝となった。国の重要文化財に指定された広島平和記念資料館本館などに加え、2002年に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が完成し、2022年(令和4)にはかつての中島地区の被爆の痕跡を露出展示する被爆遺構展示館が開館した。
毎年8月6日には、原爆死没者名簿を納める原爆死没者慰霊碑前で広島市主催の平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)が開催される。約7万柱ともいわれる遺骨を安置する原爆供養塔や原爆の子の像をはじめ、周辺も含めた一帯には60を超える慰霊碑や記念碑が点在し、8月6日前後を中心として各所で慰霊行事が行われる。