長崎への原子爆弾投下による被害に関する遺品などの資料を保存・展示する博物館類似施設。「被爆の実相と長崎市民の平和への願いを広く国の内外に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与する」ために設置された。修学旅行生や外国人観光客などが多く訪れる、長崎市における中心的な観光施設の一つである。
1949年(昭和24)に、現在の平和公園の「祈りのゾーン」(通称、爆心地公園)内に長崎市原爆資料館(通称、六角堂)が開館し、長崎市原爆資料保存委員会が収集した資料を展示した。1955年に長崎国際文化都市建設法(昭和24年法律第220号)に基づく建設事業の一環として、結婚式場などを備えた地上6階、地下1階建ての多目的施設、長崎国際文化会館が建設され、旧資料館は同館5階の「原爆資料展示室」に移転した。同室は段階的に展示スペースを拡張し、1975年に「原爆資料センター」と名称を変更。展示室が2~4階(5階は被爆証言ビデオなどの視聴覚室)を占め、1985年には原爆に関する書籍を収蔵する図書室が6階に設置された。来館者の増加に伴い、原爆資料の展示が同館の中心的機能を担うようになった。その後、老朽化し、設備面でも課題を抱えていた国際文化会館は建て替えられ、1996年(平成8)に資料の保存機能も備える地上2階、地下2階建ての長崎原爆資料館が開館した。
地下へと下るスロープを抜けた展示室には、被爆の惨状を示す写真や被爆者の遺品などの資料が展示されるほか、被爆前の長崎や長崎への原爆投下までの経過、現代の核兵器に関する情報なども紹介されている。なお、展示において日本の侵略と加害の歴史をどのように扱うのかということをめぐっては、開館前から議論がある。
おもな収蔵資料は、被災物品、写真、原爆の絵などで、関連書籍を所蔵する図書室も付設され、原爆被害関連資料の収集・保存・整理機能も担う。館内では、官民一体となって設立された公益財団法人長崎平和推進協会により、被爆者による被爆体験講話をはじめ、家族や交流を深めた被爆者の被爆体験や思いを語る家族・交流証言者による講話、平和案内人によるボランティアガイドなども行われている。