遺伝子を切断できる特殊な人工制限酵素(人工ヌクレアーゼ)を用いて、ゲノム上の特定の部位を削除したり、別の遺伝子配列を挿入したり、遺伝子配列を置換したりすることが、より高い精度で可能となる遺伝子改変技術。バイオテクノロジー分野の用語。
遺伝子工学は、1970年代後半から大きく発展してきたが、遺伝子の組換え精度は絶えず課題であり、制限酵素の活用などの研究が精力的に行われてきた。このような流れのなかで、古細菌などの中で発達した免疫防御システムの活用や人工制限酵素の開発を利用して、従来からの遺伝子組換え技術よりも、より効率的かつ自在に遺伝子を操作することが可能になり、この技術をゲノム編集と称するようになった。
この技術は1990年代後半に発表され、2000年代に入るとさらに技術開発が活発化した。ゲノム編集の第一世代は、DNAを特定の位置で切断できるZFN(zinc-finger nuclease:ジンク・フィンガー・ヌクレアーゼ)で、1996年に登場した。第二世代は、DNA認識能が向上したTALEN(ターレン)(Transcription activator effector-like nuclease:転写活性因子様エフェクターヌクレアーゼ)で、2010年に発表された。そして、第三世代のゲノム編集技術とよばれるCRISPR/Cas9(クリスパーキャスナイン)は2012年に発表され、この技術に画期的前進をもたらした。CRISPR/Cas9技術の大きな特徴は、ゲノムを切断する酵素(タンパク質)である「Cas9」とよばれるヌクレアーゼと、切断部位を認識し標的遺伝子への案内役を担う「ガイドRNA」を用いることである。ガイドRNAは、crRNA(CRISPR(クリスパー)RNA)とtracr(トレーサー)RNA(trans-activating CRISPR RNA)を人工的に融合させたものであり、組換え操作を行いたい遺伝子を特異的に改変させることが、他のゲノム編集技術よりも簡便、かつ効率よく進むように設計されている。このCRISPR/Cas9技術は、エマニュエル・シャルパンティエ(当時、スウェーデンのウメオ大学准教授、のちにマックス・プランク研究所所長)とジェニファー・ダウドナ(アメリカのカリフォルニア大学バークレー校教授)が中心となって開発された。2020年、彼女らはCRISPR/Cas9技術開発の功績によってノーベル化学賞を受賞している。
一方、ゲノム編集技術の臨床治験も進められてきた。2015年、イギリスで第2世代のゲノム編集技術TALENを用いて、1歳女児の急性リンパ性白血病の臨床治験が行われ、寛解に貢献した。そして第3世代のCRISPR/Cas9技術の発表以降、研究開発が医療のみならず農作物や水産物の品種改良などの広い分野で急速に拡大した。たとえば、海外では、マッシュルームのゲノムを改変し、マッシュルームが茶色に変色するのを遅らせて白色を保ったまま市場に届けることが可能な品種が開発されている。この場合、編集されたゲノムが自然界で起きる突然変異と変わらないことから、このマッシュルームは遺伝子組換え生物の規制対象外とみなされる。
医療の分野でもゲノム編集技術の応用が拡大している。たとえば基礎研究や遺伝子治療等を含む医療分野への応用に関する研究も進められている。さらに画期的な事例は、2023年11月に、イギリスで鎌状赤血球貧血症とβ(ベータ)サラセミアという重い貧血症にゲノム編集技術を利用した治療が承認されたことである。そしてアメリカでも同年12月に鎌状赤血球貧血症の治療への使用、翌年の2024年1月にはβサラセミアの治療への使用が承認された。鎌状赤血球貧血症は遺伝性の貧血症であり、遺伝子の変異によって、酸素を運ぶ役割を担う赤血球中のヘモグロビンが変形し、酸素の運搬が滞ってしまう病気である。患者は、アフリカや中東、アメリカ、地中海沿岸に多く、アフリカ系黒人を祖先にもつ人の約10%が鎌状赤血球貧血症を発症する遺伝子をもつといわれる(『MSDマニュアル家庭版』より)。日本ではいまのところこの症例はほとんどみられない。
ゲノム編集技術の他の疾病への応用可能性はますます拡大しており、実際に遺伝子変異に由来するデュシェンヌ型筋ジストロフィー症(DMD:Duchenne muscular dystrophy)やレーバー先天性黒内障(LCA:Leber Congenital Amaurosis)への応用が開発中である。なお、用いるゲノム編集技術にも新たな試みが行われており、Cas9以外の有効な人工ヌクレアーゼの利用など、有効なゲノム編集技術が続々と開発されている。この傾向は今後も続くと期待される。
ゲノム編集技術の有用性に対する認識が深まり、活用が進むと、その可能性だけでなく、リスクについて警鐘を鳴らす報告も増えている。リスクは3分類に大別できると考えられる。具体的には、(1)ゲノム編集の技術にかかわるもの。(2)規制・指針に関するもの。遺伝子組換え生物の規制の対象となる遺伝子の改変と同等の規制や、ゲノム編集技術を用いる場合の遺伝子治療についての規制ならびに臨床研究を行う際の指針などの整備。とくに日本国内の規制や指針と、諸外国のルールとの整合性。さらに、(3)生命倫理にかかわる課題。受精卵の研究への応用や生殖医療を含めた遺伝子治療等には、倫理的問題が含まれるので、慎重かつ継続的な検討が求められる。
またゲノム編集ならびに遺伝子治療に係る研究開発は、学界のみならず企業も大いに注力しており、実際にゲノム編集を得意とするベンチャー企業が世界的に台頭し、既存の大手製薬企業との連携や共同開発を活発に進めている。たとえば、ベンチャー企業の例としてスイスとアメリカに本拠を置くクリスパー・セラピューティクス(CRISPR Therapeutics)社や、アメリカのボストン周辺に本拠をおくエディタス・メディシン(Editas Medicine)社、バーテックス・ファーマシューティカルズ(Vertex Pharmaceuticals)社、インテリア・セラピューティクス(Intellia Therapeutics)社などがあげられる。こうしたベンチャー企業が、グローバルな製薬企業と活発に連携し、遺伝子に由来する難病やがん分野などでの医薬品の探索や開発、創薬プロセスの効率化を進めようとしている。
最後に、ゲノム編集技術は知的財産権の宝庫でもある。CRISPR/Cas9の基本特許の段階から、カリフォルニア大学と、ブロード研究所(マサチューセッツ工科大学とハーバード大学の共同研究所)の間で熾烈(しれつ)な特許競争が展開された。さらに、ゲノム編集の応用開発に係る特許でも、多数の企業や学界が激しい競争を展開している。日本の特許庁へも圧倒的に海外からの出願が多い。今後、日本でもゲノム編集技術を用いた開発が活発に展開され、商業化が進められると期待される。その際には、基本特許を回避した改良特許の取得を含めた新しいゲノム編集技術の開発や応用技術・周辺技術の開発も重要になると予測される。