遺伝子の異常のために病気になった患者の細胞に、外部から正常遺伝子を導入して病気を治す医療。1972年にアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校のセオドア・フリードマンTheodore Friedmann(1935― )らによってその概念や実現までの倫理的課題が発表された(その業績により2015年に日本国際賞を受賞)。世界初の遺伝子治療は1990年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)でアデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症患者に対して実施された。この病気はADA酵素をつくる遺伝子が欠けているためにおこる免疫不全症で、治療では患者から取り出したリンパ球にADA酵素をつくる正常遺伝子を組み込んだウイルス(ベクター)を感染させ、患者の体内に戻した。
日本では1995年(平成7)、北海道大学病院小児科がADA欠損症の4歳男児に初めて実施した。以後、2000年代には国内外で各種のがんや遺伝性の難病などに対して遺伝子治療が試みられ、良好な報告もあった一方で、欧米ではウイルス感染の副作用による死亡事故などが報告され、研究はしだいに停滞した。
遺伝子治療がふたたび脚光を浴びたのは2017年である。スイスの製薬大手ノバルティスが開発した「キメラ抗原受容体T(CAR-T)細胞療法」がアメリカで白血病の一種の治療法として承認された。これは白血病患者から取り出したリンパ球の一種であるT細胞にキメラ抗原受容体(CAR)の遺伝子を導入してCAR-T細胞とし、注射製剤「キムリア」によって体内に戻す治療で、これによりがん細胞を見つけ攻撃する作用が高まる。日本では2019年(令和1)に「B細胞性急性リンパ芽球性白血病」「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(しゅ)」に対する治療として公的医療保険が適用となったが、当初の価格が1回3349万円と高額となったことでも話題となった。また、同時期には日本初の遺伝子治療薬として大阪大学発のベンチャー企業アンジェスが開発した「コラテジェン」も保険適用となった。これは閉塞(へいそく)性動脈硬化症などの足の動脈が詰まる病気に対する薬で、血管新生の働きがあるタンパク質をつくる遺伝子を患者の足に注射し、詰まった血管を迂回(うかい)する血管を新生させる。2020年にはノバルティスが開発した脊髄(せきずい)性筋萎縮(いしゅく)症の遺伝子治療薬「ゾルゲンスマ」が薬事承認され、1回1億6707万円で保険適用となった。国立医薬品食品衛生研究所のまとめによれば、2024年8月時点では、世界で36件、日本で9件の遺伝子治療製品が承認されている。
2012年に発表され、2020年ノーベル化学賞の授賞対象となったゲノム編集技術「CRISPR/Cas9(クリスパーキャスナイン)」も従来より低コストでDNAの切断ができることから、遺伝子治療への応用や発展が期待されている。