日本大学文理学部教授 紅野謙介
文学や歴史の研究を志しているものにとって、雑誌や新聞はデータの宝庫である。まさに雑多な記事、意欲的な原稿もあれば埋め草もある。計画的であって計画的でない。だからこそ予想もしていなかった情報にも会えるし、記事や口絵や広告が思いがけない表情でこちらに訴えかけてくることもある。近代の日本は書物の時代であるとともに、圧倒的な雑誌の時代でもあった。
しかし、日本近代文学館や国会図書館に通い、原物やマイクロフィッシュで隅々まで読むとして、蓄積される情報はすさまじい量に及ぶ。驚異的な記憶力の持ち主ならばいざしらず、目的の記事以外の、あのとき印象に残ったあの記事はどこだったか、気が付いたときはもう遅い。うずたかいコピーの山は残れども、今度出会ったときには必ずファイリングしておこうとため息まじりにつぶやくのがせいぜいだった。
Web版日本近代文学館はそうした雑誌との接し方を一変する。いまはまだ『太陽』『文芸倶楽部』(明治篇)『校友会雑誌』の三誌(*1)だそうだが、複数の雑誌のすべての記事に横断的に検索をかけ、検索結果の全ページを画像で閲覧することができる。見つけたページを映し出すのはマイクロフィッシュも同じだが、拡大が簡易にできて、当該記事がどのような目次配列のなかにあったかを同一のウィンドウで見ながら読む。あれっ、同じ号にこんな記事があったかとさらにべつな記事に迷い込むことも可能だ。三つの性格の異なる雑誌のなかで、ある固有名詞がどのように刻み込まれていくかをたどることもできるし、雑誌間でのキャッチボールや温度差も見えてくる。
以前、『太陽』の口絵写真で戦争をとらえる撮影の構図がどのように変化するかをたどったことがあった。海軍が大規模な軍事演習をおこなうようになる1900年前後、軍艦の速度や動きを写真がとらえるようになっていく(たとえば〔図1〕、〔図2〕をみてほしい)。あるいは、硯友社門下でありながら写真家としても活躍した大橋乙羽がどのような題材を撮っているか。『太陽』に載った「東奥大海嘯」(図3)の写真群と『文芸倶楽部』の特集「旅之友」の口絵写真(図4)や解説(図5)を同時に眺めることで何が見えてくるか。こうした図版の一斉あるいはキーワード検索もこれによって瞬時にできるようになった。
もちろん、速度と効率だけがいいわけではない。しかし、大量のデータにどのように向き合うかを考えなければならない現在、研究のテーマも方法も徐々に変わっていく。おそらく、Web版日本近代文学館はそのときわたしたちにとって心強い味方になるのではないか。デジタル化を進めることで、逆にオリジナルの価値も浮上する。緑あふれる駒場公園に立つ文学館の意義はその逆光のなかに浮かび上がるはずである。
*1)2011年10月、Web版日本近代文学館シリーズは『滝田樗陰旧蔵近代作家原稿集』を追加
※画像は最新版のものを使用(2014年10月)