1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
メモ魔の儒者が残した記録から 江戸後期の社会を覗いてみる |
先日、80歳を過ぎたある女優をインタビューしたのですが、その際、高校の時に使っていたという手帳を見せて貰う機会がありました。当時読んだ本の気になる文章がメモされていたり、友だちの落書きがあったりと、そこにはたしかに60数年前の時間――10代の青春が閉じ込められていたのです。
そういえば私も、10代の頃は、その日の出来事や本の感想を大学ノートに記していたなあ。もちろん今は残っておりませんが。
こうしたノートは、現代人の特権というわけではなく、江戸時代にもやはり、記録を書き付ける人は存在したようです。で、後世に残す意図はなかったものの、しっかりと東洋文庫のラインナップに入ってしまっているのが、今回紹介する『慊堂日暦(こうどうにちれき)』です。
著者の松崎慊堂(1771~1844)は、熊本生まれの〈江戸後期の儒学者〉です。〈はじめ僧となったが15歳のとき儒を志し江戸へ出奔〉とありますから、ただの儒学者じゃありません。その後、〈昌平黌に入り,のち林述斎の家塾で学〉びます。〈50歳ごろからは一家に偏せず経書の研究・校刊につとめ〉、天保13年には〈将軍に謁見,荻生徂徠以来の盛事と称され〉ます。〈晩年には名声ますます高く,要路の人の諮問にあずかった〉そうです(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)
『慊堂日暦』が記され始めたのは、シーボルトが出島にやってきた頃で、終えたのは天保15年(1844)。つまり、シーボルト事件、天保の大飢饉、大塩平八郎の乱、蛮社の獄、天保の改革……という歴史の試験に出てきそうな出来事の最中に、この日記は書かれていたということです。慊堂は時代の生き証人というわけですね。
例えば文政6年(1823)7月12日。
〈○異船/水戸沖ニ、十余隻見ユ〉
とあります。
かと思うと、飲み食いの記述も多く、例えば「鶏卵酒」。
〈冬至に土中に埋め、十二月にこれを出だす。臥するに臨んで微酔すれば、寒を避くるに極めて妙〉
さらには、松浦静山の『甲子夜話』(東洋文庫306ほか)や根岸鎮衛の『耳袋』(東洋文庫207ほか)に負けじと奇談も多く載せるなど、著者のメモ魔ぶりが伺えます。
まさか本人も、200年後に読まれているとは、思わなかったでしょうけど。
ジャンル | 日記 |
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時代・舞台 | 1823~1829年の江戸 |
読後に一言 | 全6巻、1回では手に余るので、3回に分けてお送りします。 |
効用 | 当時の儒者が何を読んでいたのか、どんな生活を営んでいたのか、そういうことがつぶさにわかります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 五月十五日を天地の交りとなす。この夜に交接すれば男女とおもに祟る。(文政8年8月4日/1巻) |
類書 | 著者と同時代を生きたシーボルトの参府記録『江戸参府紀行』(東洋文庫87) 諸外国との外交秘話『幕末外交談(全2巻)』(東洋文庫69、72) |
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