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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 349

『晩清小説史』(阿英著 飯塚朗、中野美代子訳)

2019/05/16
アイコン画像    惨世界、沙士比亜、托爾斯泰……。
あなたはいくつ読めますか?

 さて問題です。以下は中国語表記の欧米作家or作品名ですが、何を指しているでしょうか?


①沙士比亜 ②狄更司 ③巴爾札克 ④易卜生 ⑤托爾斯泰 ⑥黒奴籲天録 ⑦惨世界


 答えは、①シェイクスピア ②ディケンズ ③バルザック ④イプセン ⑤トルストイ ⑥アンクルトムの小屋 ⑦レ・ミゼラブル、です。

 人名は通常、万葉仮名のように音を漢字で当てていくので、到底読めません。作品名は意味からの翻訳です。惨世界=レ・ミゼラブルなんて、膝を打ちました。

 元ネタは、『晩清小説史』。本書の著者は、文芸評論家の阿英(1900~77)。〈プロレタリア文学の理論家〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)だけに、文学史といっても、「婦女解放問題」「民族革命運動」など政治的な視点で切り込んでいきます。

 1840年のアヘン戦争以降、清は弱体化の一途を辿るのですが、この年を境に、中華民国成立(1911年)までを「晩清」といい、著者いわく、〈晩清小説は中国小説史上もっとも隆盛をきわめた〉のだそうです。国を憂えた作家たちが、小説という形式を用いて救国を訴えた、というのが阿英の見立てです。

 私が興味深かったのは、「翻訳小説」に関する論です。当時の中国では、創作より翻訳が多く、刊行物の3分の2を翻訳書が占めていたと著者はいいます(日本文学の翻訳もあります)。で、前段の問題になったというわけ。

 中国と西洋の出会いは、アヘン戦争など不幸な結果を生みますが、一方で、西洋文化の大量流入を促したのです。その刺激によって、文学も生まれたのです。

 これは日本も同じです。幕末から明治にかけての開国で、日本は西洋と出会います。個人、会社、概念、科学、進化、人格、理想、体操……。これらはすべて、この時期に外国語の翻訳によって誕生した言葉です。

 たとえば「彼女と恋愛したのは、第一印象にひかれたから」という文章をみてみましょう。熟語はすべて、翻訳語です。つまり日本も、外国の文化を取り入れること(翻訳)で、自分たちの文化を豊かにしていったのです。これはどの国とて同じ。その証拠を、私は『晩清小説史』に見つけたのでした。

 〈アリストテレスの昔から言われているように,文化にとって異質なものとの出会いは常に豊饒(ほうじよう)化の契機となる〉(同「世界文学大事典」、「翻訳」の項)



本を読む

『晩清小説史』(阿英著 飯塚朗、中野美代子訳)
今週のカルテ
ジャンル文学/評論
刊行年・舞台1937年刊行/中国
読後に一言ある言語学者の説ですが、「肩こり」という言葉がない国には、肩こりがないそうです。言語化されないので、意識化されないのです。極論すると、西洋と出会ってなければ「恋愛」もなかった?
効用実際の「晩清小説」も数多く引用されていますので、それを読むだけでも当時の中国の小説の様子がわかります。
印象深い一節

名言
大部分の(晩清小説の)作品がすべて直接、間接に西洋文学の影響をうけていたことは、はっきりしている。(第一章「晩清小説の隆盛」)
類書魯迅による中国文学史講義『中国小説史略(全2巻)』(東洋文庫618、619)
晩清小説のひとつ『老残遊記』(東洋文庫51)
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