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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 485

『東洋文明史論』(桑原隲蔵著 宮崎市定解説)

2019/05/09
アイコン画像    「悪漢」という言葉が生まれたワケ
中国の歴史にみる南北問題

 「南北問題」といえば、〈北半球の先進工業諸国と南半球の発展途上国との経済格差に集約される国際経済の構造的諸問題〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)のことですが、中国にも歴史的に南北問題があることを、本書『東洋文明史論』によって初めて知りました。

 著者は、〈日本における東洋史学を確立〉(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)した東洋史学者・桑原隲蔵(くわばら・じつぞう/1871~1931)。氏は本書所収の論文「歴史上より観たる南北支那」で、この問題を取り上げます。

 氏によれば、〈漢族はいまの河南省あたりを中心とした北支那(中国)を根拠〉としていました。河南省は、〈洛陽、開封などかつての首都を含み、古くからの漢民族の活動の中心地〉(同「日本国語大辞典」)で、〈中国文化発生地の一つ〉(同「世界大百科事典」)です。〈文化の中心として中州(ちゅうしゅう)、中原(ちゅうげん)とよばれ〉(同「ニッポニカ」)ました。


 〈この中国(河南省を中心とした地域)以外に住める種族は、戎狄(じゅうてき)もしくば蛮夷など称せられ、擯斥(ひんせき)もされ、軽侮もされた〉


 孔子や孟子、老子や荘子も、北支那の出身だと著者は指摘します。つまり長らく文化の中心は北支那にありました。ところが、『三国志』でお馴染みの三国時代の混乱を経、そのあとを受けた晋も安定せず、4世紀になると、北より「五胡」の侵入が始まります。五胡とは、〈西晋末から華北に侵入し、独立した五つの民族。モンゴル系とされる匈奴(きょうど)・羯(けつ)・鮮卑(せんぴ)と、チベット系の氐(てい)・羌(きょう)の五族〉(同「デジタル大辞泉」)のこと。五胡の侵略を受け、北支那に留まる漢族と南支那に逃げる者とに分かれます。著者によれば、「悪漢」「卑劣漢」「無頼漢」などの罵倒語は、〈五胡時代以来の慣習〉であるとか。これらは元々、漢族差別から生まれた言葉だったんですね。

 一方、〈漢族の避難場となった〉南支那は、人口も人材も経済も文化も、北を凌駕するようになります。また、〈多数の忠臣義士〉を輩出します。いわば、南支那の人間が敵に対しての抵抗勢力となったのです。

 気になって、中国の中央人民政府主席の出生地を調べました。初代毛沢東から7代目習近平まで、生まれが北支那であるのは習近平だけ。「南支那優位」というのは、現代においても続いていたのです! 毛沢東が共産党を率いて日本軍と戦ったのも、あるいは南支那出身だったから? 中国をみるもうひとつの視点です。



本を読む

『東洋文明史論』(桑原隲蔵著 宮崎市定解説)
今週のカルテ
ジャンル評論/歴史
時代・舞台中国/1910~20年代に執筆・講義
読後に一言解説(宮崎市定)の「支那」の言葉の説明が秀逸。「支那」に蔑視の意はない、日本人の創作ではない、とする解説に同意します。本書も「支那」だらけです。ただし〈日本の大陸侵略と結びついて蔑称的性格が強められた〉(同「世界大百科事典」)のもこれまた事実です。
効用他にも「紙の歴史」や「アラブ人の記録に見えたる支那」などの論文を収録します。
印象深い一節

名言
(中国の)紙の発明は世界の文化に多大の貢献をした。(「紙の歴史」)
類書同著者によるアラブ商人を通した東西交渉史『蒲寿庚の事蹟』(東洋文庫509)
世界を変えた中国の発明『中国の印刷術(全2巻)』(東洋文庫315、316)
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