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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 49

『京都守護職始末1 旧会津藩老臣の手記』(山川浩著 金子光晴訳 遠山茂樹校注)

2017/11/09
アイコン画像    尊皇攘夷=自分ファースト!?
元会津藩士による幕末記録(1)

 明治維新とはいったい何だったのでしょうか。

 唐突な問いかけに思われるかも知れませんが、実は今日、11月9日は、実質的な江戸の終わり――大政奉還があった日なのです。旧暦では10月14日ですが、新暦でいえば、ちょうど150年前の11月9日の出来事なのです。


 〈慶応三年一〇月一四日(一八六七年一一月九日)、徳川幕府の一五代将軍徳川慶喜が政権返上を朝廷に申し入れ、翌日勅許された事件〉(ジャパンナレッジ「法律用語辞典」)


 東洋文庫には、幕末から維新までの流れを描いた〈佐幕的視角にもとづく史書の傑作〉(同「国史大辞典」)が収録されています。それが『京都守護職始末』。〈京都守護職となって上京した藩主松平容保に随従し〉(同「ニッポニカ」)た、会津藩士・山川浩(のちに高等師範学校校長)による記録で、明治44年に〈旧藩士にのみ配布するという形〉(同「国史大辞典」)で刊行されました。これが非常に興味深い。しかも詩人・金子光晴の訳なので読みやすい! 書状など貴重な資料も掲載されており、〈史書の傑作〉というのも頷けます。


 いったい何が面白いのか。たとえばこんな記述。


 〈(京都では諸藩脱藩の武士などが)外国人を夷狄禽獣(いてききんじゅう)と呼び、嗷々(ごうごう)として鎖国攘夷を口にするが、さて一つとして確固とした定見があってのことではなく、はなはだしいものは昔の元寇とくらべて神風の霊験を頼むものさえある〉


 歴史は繰り返すのですね。文章だけ読めば、太平洋戦争中に語られていたものと見紛います。で、この暴論を、京都の公家たちは信じ込む。公家たちは〈武家の隆盛をうらやむものが多く〉、尊皇攘夷に乗っかれば、自分たちが武家に取って代われると考えたというのです。つまり尊皇攘夷派の大半は、幕末の“国難”に際し、国の行く末など考えず、“自分ファースト”だったのです。

 容保は、桜田門外の変に絡んだ騒動を見事裁き、その手腕を買われてで京都守護職におされます。当時、容保は病気がち。その任にないと断り続けるのですが、結局押しつけられ、最終的に白虎隊の悲劇に繋がっていくのです。

 容保は、京都守護職として、幕府と朝廷の〈公武一和(公武合体)〉に奔走します。容保にとっての「国」とは、徳川幕府のことだったかもしれませんが、少なくとも、自身や藩のことよりも、国のことを考えました。幕府と朝廷に挟まれ、翻弄される容保の姿が、ここにあります。

 なぜ幕府は倒れたのか。続きは次回にて。



本を読む

『京都守護職始末1 旧会津藩老臣の手記』(山川浩著 金子光晴訳 遠山茂樹校注)
今週のカルテ
ジャンル記録/歴史
時代 ・ 舞台幕末の京都
読後に一言歴史は勝者によって作られるとはよく言われることですが、本書を読むと、その言葉に納得します。
効用孝明天皇自ら、和歌(名言参照)を容保に贈るなど、容保への信頼は並々ならぬものがあったようです。御製など、初出資料も満載です。
印象深い一節

名言
武士と心あはしていはほ(巌)をも貫きてまし世々の思ひ出(孝明天皇の御製、二九「御宸翰ならびに御製を賜う」)
類書女性が見た幕末~明治『小梅日記(全3巻)』(東洋文庫256ほか)
孝明天皇時代の禁裏の生活『幕末の宮廷』(東洋文庫353)
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