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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 509

『蒲寿庚の事蹟』(桑原隲蔵著 宮崎市定解説)

2017/10/26
アイコン画像    13世紀のダイバーシティ
歴史を左右した“排除の論理”

 ネットの掲示板で、嫌になるほどヘイト系の書き込みを目にします。通常の掲示板にも関わらず、罵り言葉に、ヘイト系の用語が使われるのです。いったい、いつからこの国は“排除”が当たり前になったのでしょうか。

 東洋文庫で、ダイバーシティを体現しているような本を見つけました。『蒲寿庚の事蹟』です。

 蒲寿庚、これは人の名で「ほじゅこう」と読みます。13世紀の中国・泉州で活躍した人ですが、もともとどこの人だかわかります? 実はアラビア系(ただし、ペルシア人とする異説もある)なのです。

 本書によれば、「蒲」は、アラビア語の「Abu(Abou)」(「父」の意味で、アラブ人の名に多く用いられる)の音を表したものだそうで、当時の中国には、蒲姓のアラビア系住人が多く住んでいたようです。

 中国にアラブ系住人とは、ちょっと驚きます。

〈東洋史学の創始者の一人〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)である著者の桑原隲蔵氏(1870~1931)によれば、〈西暦八世紀のはじめ頃から、十五世紀の末に、ヨーロッパ人が東洋に来航する頃まで、約八百年の間は、アラブ人が世界の通商貿易の舞台に立って〉いたと言います。「大航海時代」は、あくまでヨーロッパから見た言い方ですが、その前は、アラブの大航海時代だったわけです。

 で、蒲寿庚は、海賊を撃退した功でとんとんと出世し、「提挙市舶」(貿易監督官)、さらには「沿海都制置使」という地域の軍事長官に登りつめます。

 ところが時代は、元の勃興期。蒲寿庚の仕える宋は、元に攻め立てられます。

 ここで宋は、とんでもない愚挙に出ます。せっかくダイバーシティの国だったのに、最後の最後で、アラビア系を信用しないんですね。なんと、〈蒲寿庚所属の船舶資産を強請的に徴発した〉のです。これに怒った蒲寿庚は、〈元に降り、宋に対して敵対行動をとる〉ことになります。著者によれば、これが大きかったというのです。


 〈蒲寿庚が宋を捨てて元に帰したことは、宋元の運命消長にかなり大なる影響を及ぼした〉


 排除の論理で、ヨソ者を追い出し、結果としてそれがはねかえって滅亡する。これが歴史の真実です。

 蒲一族は、元に重用され、栄えたようですが、時代が変わり明になると、かつて中華民族に歯向かったという理由で、仕官が禁じられます。やがて没落し、歴史からも名前が消えます。さて蒲一族を追い出した明はどうなったか? やはり歴史は繰り返すのです。



本を読む

『蒲寿庚の事蹟』(桑原隲蔵著 宮崎市定解説)
今週のカルテ
ジャンル歴史/政治・経済
時代 ・ 舞台13世紀、南宋末から元初の中国
読後に一言著者は別の研究で史料を調査していた際に、〈偶然〉、蒲寿庚の〈事蹟を発見した〉んだそうです。
効用この本で当時の中国の外国貿易について読んでいると、いかに私たちがヨーロッパ史観に毒されているかわかります。
印象深い一節

名言
従来ほとんど学界に知られざりし、蒲寿庚の事蹟を稽査した点において、また唐宋時代におけるイスラム教徒の、支那通商の状態を闡明した点において、この論文が学界に相当の貢献をなし得べきことを期待して居る(結語)
類書同著者による中国文明史『東洋文明史論』(東洋文庫485)
蒲寿庚も痕跡を留める『モンゴル帝国史 3』(東洋文庫189)
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