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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 136

『西学東漸記 容閎自伝』(百瀬弘訳注、坂野正高解説)

2016/06/30
アイコン画像    19世紀末を生きた国際人の
考える“責任”とは――。

 東洋文庫には、優れた伝記が多数収められていますが、自伝『西学東漸記』もまたそのひとつです。著者は、容閎(ユンウィン/ようこう、1828~1912)。「世界大百科事典」(ジャパンナレッジ)では、彼を、〈中国近代の改革運動家〉と紹介します。

 容閎は貧しい農家の生まれですが、宣教師の運営する学校で学んだことで人生が開けます。「世界大百科事典」の記述を借りれば、〈中国初の留学生〉として、〈イェール大学に入学〉。〈卒業後帰国して茶・生糸の仲買いに従事〉し、〈太平天国の洪仁玕(こうじんかん)に新政の提案をしたが運動には参加せず、逆に清側の曾国藩(そうこくはん)の洋務政策に協力〉。〈日清戦争時に再び帰国し変法運動に参加〉し、最後は、〈アメリカで余生を送った〉とあります。アヘン戦争から辛亥革命まで、中国の激動の時代を容閎は生きたのでした。

 容閎の人柄を表す、面白いエピソードを見つけました。氏がイェール大に進学しようとした時のこと。容閎は学資に困ります。予備校の理事長らはそんな容閎に手を差し伸べます。〈宣教師となって中国へ帰るという条件を承諾すれば、喜んで学資を提供する〉と申し出たのです。願ってもいない申し出ですが、容閎のリアクションはというと……。


 〈援助者の手にすがり、一わんのあつもののために心にいだいていた確固たる責任の念を売り渡すことはしたくなかった〉


 容閎は、〈中国最大の福祉を実現する〉という信念があった。これが〈確固たる責任の念〉です。宣教師になれば自由は制限される。だから申し出を断ったのです。

 ここ最近、〝責任〟という言葉がメディアを賑わせています。都知事絡みでも、説明責任、都政混乱の責任……と〝責任〟の大安売り。国のトップは「新しい判断」で責任を放り出す。一方、X線天文衛星「ひとみ」は、JAXA理事長以下3人が失敗の責任を取って、給与一部を自主返納するそうです(知のチャレンジに、責任を取らせたら、今後研究は萎縮してしまうのでは?)。

 容閎の〈責任〉には覚悟があります。だからこそ、言葉が重い。そしてこの裏にはこんなスタンスが……。


 〈知識というものは力です。力は金銭よりも偉大なものなのです〉


 「知識」という武器を身に付けた容閎は、誰に絡め取られることもなく、自由でした。私も政治やメディアに惑わされぬよう、「力」をつけたい。そう思いました。



本を読む

『西学東漸記 容閎自伝』(百瀬弘訳注、坂野正高解説)
今週のカルテ
ジャンル伝記
刊行年 ・ 舞台1909年/中国、アメリカ
読後に一言仕事だからといって〈一わんのあつもの〉のために心を売り渡すことがないよう、注意しないとな、と自分に言い聞かせました。
効用太平天国との関わりも多く、歴史の一面がよくわかります。
印象深い一節

名言
(日清戦争について)私は中国側に味方したが、それは私が中国人の一人であるということからではなく、中国側が正しく、日本はその陸海軍の優勢を示そうとして中国と戦う口実をでっちあげたにすぎなかったがためだ。
類書同時代を生きた文学者の伝記『魯迅 その文学と革命』(東洋文庫47)
同時代を生きたアナーキストの半生『留日回顧』(東洋文庫81)
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