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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 667

『桟雲峡雨日記 明治漢詩人の四川の旅』(竹添井井著、岩城秀夫訳注)

2016/04/21
アイコン画像    明治の漢詩人の111日間の旅を
漢詩&日記で追体験する

 学生の頃、1週間ほどかけて、伊勢や熊野など、紀伊半島をぐるっと巡ったことがありますが、“旅”と呼べるのはせいぜいこの1度切りで、あとは何しに行ったのかも定かでない、1泊2日、2泊3日の旅行がせいぜいです。

 ああ旅がしたい、と独り言を漏らしてしまう御仁には、本書『桟雲峡雨日記』は刺激が強すぎるかもしれません。

 著者は、明治の外交官、漢学者である竹添井井(たけぞえ・せいせい、1842~1917)。地元・熊本の「竹添進一郎顕彰碑」の記述によれば、〈(勝)海舟らの推挙により特命全権大使森有礼の随員として清国に渡る。次いで中国大陸中部以北の奥地を踏破し、名著≪桟雲峡雨日記並詩草≫を著し〉たという人物です。

 『桟雲峡雨日記』によると、井井は知人と連れ立って、北京を出発し、石家荘(せっかそう)・邯鄲(かんたん)から黄河を渡って洛陽へ。そのまま黄河沿いに、関所・函谷関を通り、西安。秦嶺山脈を越え、桟道の難所を進み、四川の成都、重慶をめぐる。帰路は長江を舟で下り、三峡、洞庭湖などの名所を愛で、上海で旅を終えます。いわく、〈この度の旅行は百十一日間、行程は九千余里であった〉。1里は約3.9kmですから、ざっと3万5000km! それを3か月以上かけて巡るのです。贅沢というほかありません。例えばこんな調子です。


 〈孟県を出ると、そこは黄河であった。河の幅は十里もあろうか、濁水が沸くように波立って流れ、心おののく思いである〉

 〈褒水の流れは停滞すると、藍を投入したような色を呈し、逬(ほとばし)って流れると、雪を翻えしたようである。奇巌怪石は蟠(わだか)まった竜の如くであり、奔馬の如くであり、桟道が一すじその間に通じているのであって、ここを旅するのは、みな一幅の絵の中にあるようである〉


 井井は、俳句や短歌をよむ代わりに、漢詩を残していくのだが、それがまた味わい深いのです。


 〈褒谷の水 幾彎彎(わんわん)/墜ちんと欲して墜ちずして石は石を抱き/飛ばんと欲して飛ばずして山は山を掖(わき)ばさむ〉(「画眉関を度り馬道に至る」)


 井井は、景観から人々の暮らしまで、目に入った物事を丁寧に記していきます。それらの記述が〝刺激的〟なのは、井井の旅路が非日常の中にあるからです。井井が旅での経験をインプットしていく様子が、私には非常に羨ましくありました。



本を読む

『桟雲峡雨日記 明治漢詩人の四川の旅』(竹添井井著、岩城秀夫訳注)
今週のカルテ
ジャンル紀行/日記
刊行年 ・ 舞台1876年/中国
読後に一言旅の予定などない私は、竹添井井の紀行日記で、自らを慰めることとします。
効用注で紹介されている井井の漢詩を拾い読みするだけでも、旅情が味わえます。
印象深い一節

名言
水行 風多きに苦しみ 山行 雨多きに苦しむ/蜀山 行きて尽きず 雨は糸のごとく日々縷縷たり(「寐(い)ねられずして感有り」)
類書著者も言及する南宋の名紀行文『呉船録・攬轡録・驂鸞録』(東洋文庫696)
中国文学者・青木正児の中国紀行と随筆『江南春』(東洋文庫217)
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