1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
15億人が共有する体験&感情 イスラム教徒とめぐるアジア(2) |
下記の文章をご賞味ください。
〈その時点での人々の気持ちは、今まさに久しき念願の望みを果たさんと心歓びに満ち溢れ、今の心の状態とこれから訪れるであろう心の状態(期待)とに、胸の高鳴る思いであった〉
自分のこれまでを振り返り、〈久しき念願の望みを果たさんと心歓びに満ち溢れ〉たことがあったかと問うてみる。いやー、自分が恥ずかしくなります。こんなふうに、何かに〈期待〉したことは、正直ありません。とりあえず今のところ平和な日本に生き、マララ・ユスフザイさんのように学ぶことを禁止されたわけでもなく、飢えたわけでもなく、のほほんと生きてきた。いわば、幸せで飽和状態になっているのでしょう。
冒頭の文章は、イスラム教徒のイブン・バットゥータが、聖地メッカに到着する寸前の描写である(『大旅行記 2』)。なぜイスラム教徒はメッカ訪問に心躍らせるのか。
ご存じの通り、イスラム教徒のメッカ訪問は「巡礼=ハッジ(ハッジョ)」と呼ばれる。
〈五柱(イスラム教徒の五つの主要義務)の一つで、資力や能力のあるムスリムが一生に一度は果たすべき義務である。これは、コーランの2章196節に基づく〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)
だが「義務だから」というのは答えにならない。それに、巡礼は、日本のパックツアーとは異なる。
〈幾たりの多くの[思慕の情に欠けた]意志弱き人たちが、それらの至聖所に至らずして、死の運命に遭い、またその途次で、身の破滅に遭ったことか!〉
サウジアラビアの砂漠地帯を進む巡礼が、決して楽なものではないことが、おわかりだろう。
しかしイスラム教徒たちは今でもメッカを目指す。その達成に至福の喜びを見出す。
日本社会では、伊勢参りや富士登山などが、あるいは巡礼に近いものかもしれない。しかしこれらの体験が、大きな集団の共有すべきものであったかというとそうではない。だとすると、イスラム教徒の「強み」は、集団――世界人口の2割超、約15億人で共有できる〈胸の高鳴る思い〉を持っているということではないか。
今から、バットゥータのような体験や感情を持てといわれても不可能だろう。だが、認めることは可能だ。遅ればせながら、私はそこから始めたいと思う。
ジャンル | 紀行 |
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時代 ・ 舞台 | 14世紀の中東(サウジアラビア、イラク、イラン) |
読後に一言 | イスラムのことを知らなすぎる、という事実をつきつけられました。 |
効用 | メッカの神殿の描写も詳細で、彼らの敬う地の情景がありありと浮かんできます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 神が無事にその者を仲間として至聖所に集め給うた時には、その者は歓喜満てる内にそれらに出迎えられ、それら至聖所ある故にまるでそれまでの数々の辛苦が何も無かったかの如くに、また難儀や災難にも悩まされなかった如くに思えてくるのである。(「第四章 聖都メッカ」) |
類書 | 同時期の東洋周遊旅行案内記『東方旅行記』(東洋文庫19) 「アラビアン・ナイト」訳者・前嶋信次の論考『イスラムとヨーロッパ』(東洋文庫673) |
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(2024年5月時点)