1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
『往生要集』から読み取る、 「三昧せよ!」のメッセージ |
どうやったら地獄に落ちずにすむのか――。
前回の宿題である。「『往生要集』に書いてあるんだから、答えは念仏でしょ」というのは、優等生の答えである。私もかつてはそう思っていた。源信といえば念仏。日本史の試験の穴埋め問題を解くようなものだ。
だが今回、『往生要集』を熟読して、その答えの浅はかさに気づいた。念仏――確かに答えとしては間違っていない。だが源信が言わんとしていたことは、そんな単純なことではなかった。
具体的に源信の説く「念仏」のやり方をみていこう。源信は「念仏の助けとなる方法」として7つ挙げるのだが、その中で特に目を引くのは、3番目の「怠惰なこころをおさえること」だ。源信は言う。
〈念仏のひとでも、いつも心をふるいおこし、励ましているわけにはいかない〉
面倒くさくなることもある、と源信は言うのだ。しかも、〈あるときは心は暗くぼんやりとし、あるときは心は挫(くじ)け退ぞく〉と具体的だ。ではそんな時、どうするか。
(1)悟りという〈大きな利益〉が得られるのだから、しりごみする心をおこすわけがない、と考える。
(2)自分は立派な人間なんだ、だから〈卑下して挫け〉ることはない、と前向きに考える。
(3)仏の〈功徳をたより〉とする。
源信の説くところは、決して精神論ではない。まず最大の利益(悟りや極楽浄土)が得られることを意識せよ、という。そして、自分は立派な人間だと思い込め、と。現代のコーチングにも通ずるモチベーションの上げ方だ。
だが、読者の中には、たかが念仏ごときで、怠け心も何もないだろう、と思う人がいるかもしれない。確かにただ念仏を唱えればいいのであれば、簡単なようにも思える。しかし源信が説く念仏とは、「念仏三昧」のことだ。三昧――仏教用語で、〈心を一つの対象に集中して動揺しない状態〉のことだ。〈雑念を去り没入する〉ことこそ、三昧なのである(ジャパンナレッジ「デジタル大辞泉」)。
ただひとつのことに没入する。これは意外と難しい。こうして原稿を書いていても、ネットで関係ないページを見たり、別の仕事の電話に出たり、子供の相手をしたり、三昧とはほど遠い。
三昧せよ。源信は「念仏」を通し、こう説いているのではないか。その先に、地獄以外のものが見える、と。
ジャンル | 宗教 |
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時代 ・ 舞台 | 平安時代の日本 |
読後に一言 | 自分のできることに徹する、ということでしょうか。 |
効用 | 本書は、〈日本浄土教の基礎を確立した金字塔ともいえるもので、以後長く多大の影響を与え、文学、美術その他習俗にまで及んでいる〉(「ニッポニカ」)と評価されています。読みやすい訳文で、この機会に味わってください。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 普通の三昧(禅)でさえ、なおすでにこのよう〔に勝れているの〕である。まして念仏三昧は三昧のなかの王(王三昧)であるから、なおさらのことである。(第十章問答による解釈「さまざまな修行の優劣」) |
類書 | 浄土真宗開祖・親鸞のことば『歎異抄・執持鈔・口伝鈔・改邪鈔』(東洋文庫33) 蓮如上人の教義書『御ふみ』(東洋文庫345) |
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(2024年5月時点)