1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
18世紀後半のニッポン旅(1) 「東遊記」で奇談を味わう |
古くは森鴎外や北杜夫、加賀乙彦に帚木蓬生。新しいところでは海堂尊。今年4月に亡くなった渡辺淳一もそうだ。そして本書著者の橘南谿(なんけい)。何がって? この人たちは医者兼作家(元医者も含む)の面々だ。医学部出身と広げれば、山田風太郎や手塚治虫まで仲間入りする。ひとつのことを極めんとした人間は、その眼差しを文章や物語に向けることによって、深く掘り下げることができるのかもしれない。
のっけから持ち上げすぎのきらいもあるが、それほどの出来なのだ。橘南谿の通称『東西遊記』だ。「東遊記」「東遊記後編」「西遊記」「西遊記続編」などからなる紀行の総称で、前2者は『東遊記』(東洋文庫『東西遊記1』)、後2者を『西遊記』(東洋文庫『東西遊記2』)と呼ぶ。
本書は、〈医学修行の為に漫遊する事、前後合わせて五年〉という長期に渡る紀行で、伝聞も含めれば、話題に取り上げた地域は、北は北海道から南は沖縄まで、東西計36都道府県におよぶ。医学修行、人格修行もしながらの道中で、各地の伝説や奇談をあわせて200余話集めた労作なのだ。
しかも、私好みのシニカルさがあって、これがまたいい。「名山論」で南谿はこう記す。
〈他邦の人に逢えば必ず名山大川(たいせん)を問うに、皆各(おのおの)其国々の山川を自賛して天下第一という、甚だ信じ難し〉
皆、よそのことも知らずに「わが国がいちばん!」と声高に言うというんですな(まるで最近の「日本は素晴らしい本」のようである)。〈甚だ信じ難し〉というのはごもっともで、日本中を旅した南谿にとって、そうした知識不足の厚顔無恥さについていけなかったに違いない。
では『東遊記』(東洋文庫『東西遊記1』)の奇談から。
南谿が奥州(岩手県)の南部領に滞在していた頃、大雨の翌日、〈五六尺〉の〈人の足〉が海岸に流れ着いた。一尺約30cmとして、五尺だとしても150 cm。人間の股下は身長に対して長くても半分。となると計算上、身長は3m! 南谿は、〈巴大温〉(南米パタゴニア)という〈大人国〉があるという知識を披露し、そうした大人国の人間の足が流れ着いたのではないかと推論する。で、最後にひと言。
〈諸蛮夷の国々に通路ひらけたれば、ついには大人国も知らるべきにや〉
蘭学にも通じていた南谿は、世界にも視野を広げつつ、目の前の奇談を受けとめる。この姿勢、とても好きです。
ジャンル | 紀行 |
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時代 ・ 舞台 | 1780年代の日本 |
読後に一言 | 1回ではもったいない本でしたので、次回は後半(第二巻)の「西遊記」を取り上げます |
効用 | その土地で信じられていることは、ある意味での真実です。ここには、18世紀末の日本の真実の姿があります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | (景色や地形が年々変化することを受けて)天地さえかくのごとくに変じもて行けば、況(いわん)や人世の事は遷(うつ)りかわるべき道理なり。あやしむに足らず。(「地気」) |
類書 | 同時期の東北紀行『東遊雑記』(東洋文庫27) 同時期の西日本紀行『江漢西遊日記』(東洋文庫461) |
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(2024年5月時点)