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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 206

『日本の茶書2』(林屋辰三郎、横井清、楢林忠男編注)

2014/05/29
アイコン画像    江戸の煎茶登場と明治の抹茶復活劇
茶書で読み解く茶の移り変わり(2)

 ご存じの通り、日本茶には「抹茶」と「煎茶」があります。抹茶なんてアイスやケーキでもお馴染みで、日本人の応用力には感心させられますが、この「抹茶」、中国から伝わってきたものですが、〈現在では極東の日本にだけみられる喫茶文化〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」、「茶道」の項)なんだそうです。

 では「煎茶」は? 煎茶は〈日本緑茶の8割を占める〉(同前、「チャ」の項)のだそうで、緑茶=煎茶といっていいでしょう。急須でお茶を煎れる文化が日本に来たのは江戸初期のこと。禅僧隠元が明から持ち帰ったそうです。これを「煎茶」として確立したのが永谷宗円。煎茶は、〈1738年(元文3)に山城(京都府)の永谷宗円が創案した〉(同前、「煎茶」の項)のです。

 で、1802年刊行の「煎茶早指南」にこうあります。


 〈此のごろしきりに世間に流行して、風流の人、煎茶をもてはやし……〉


 江戸の半ばを過ぎ、抹茶から煎茶へとトレンドが移ったんですねぇ。とはいえ、上流階級は相変わらず抹茶をたしなみ、それはますます説教臭く――もとい、教育的になったようです。松平定信や井伊直弼が茶書をかいているくらいですから(本書収録)。例えばこんな具合に。


 〈只だ平常によく心を用ゆるを、当流の第一とするなり〉(松平定信「茶道訓」)


 これが明治で一変します。〈茶の湯は維新後、将軍家や大名家の没落と文明開化の反面としての旧物破壊の風潮のあおりを受けて〉(同前「国史大辞典」、「茶道」の項)衰退してしまうんですね。しかし明治半ばごろから、〈国粋保存の運動の高まりとともにまた復活した〉(同前)のです。


 〈近頃世間には、茶の湯と云う事に馬鹿々々しく勿体をつけて、道徳の教訓と結び付け、忠君愛国の気風を養い危険思想防止の効能があると云い触らし、甚だしきは「茶道経国」など云う大袈裟な宣伝をする者もあるようだが……〉(「おらが茶の湯」)


 と昭和初期の茶書に書かれているほど。この変化は劇的で、〈江戸時代までは茶道人口のほとんどを構成していた男性にかわり、新たな担い手になったのは女性たちであった〉(同前「ニッポニカ」、「茶道」の項)というオマケ付きでした。そして今やペットボトル。本家の中国は元より、世界各国でペットボトルのお茶が売られています。お茶――この柔軟な変化、見習いたいものです。

本を読む

『日本の茶書2』(林屋辰三郎、横井清、楢林忠男編注)
今週のカルテ
ジャンル実用/芸能
時代 ・ 舞台江戸時代中頃から昭和初期の日本
読後に一言日本のおもてなし文化、茶と共に育ってきたのではないかと思いました。
効用茶器や急須などの図版も多く、風俗資料としても楽しめます。
印象深い一節

名言
あしきと思う道具のよき所を見、よきと思ううちにあしき所を見しるべし(松平定信「茶道訓」より、「茶室壁書」)
類書お茶のエピソードも登場するアメリカ人の手記『明治日本体験記』(東洋文庫430)
女性向け教育書『女大学集』(東洋文庫302)
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