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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 124

『長崎日記・下田日記』(川路聖謨著、藤井貞文、川田貞夫校注)

2014/03/13
アイコン画像    幕末の対ロシア交渉で活躍した、
川路聖謨の「人間関係力」とは?

 ロシアがきな臭い。こういう時こそ、ロシアのトップとファーストネームで呼び合うと自慢する氏が乗り出せばいいと思うのだが、なぜかそうしない。こういう時こそ、「個人的な人間関係」が効くと思うのだけれど……。

 実際、人間関係力とでも言うべきスキルで、幕末の動乱の最中、ロシアとの交渉を乗り切った男がいる。川路聖謨(かわじ・としあきら)という幕府の役人である。

 〈幕府の勘定吟味役、佐渡奉行、普請奉行、大坂町奉行、勘定奉行、外国奉行などを歴任、名声を博す。嘉永六年(一八五三)ロシア使節プチャーチンと交渉し、翌年、日露和親条約を結ぶ〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)

 ロシア交渉を一手に引き受けた、外交官と言っていいだろう。その際のロシアの人間との交渉の様子を記したのが「長崎日記」であり、日露和親条約締結までの日々を記したのが「下田日記」というわけだ。

 とにかくこの男、相手の懐に入るのがうまい。


 〈詞(ことば)通ぜねど、三十日も一所に居るならば、大抵には参るべし。人情、少しも変らず候(そうろう)。顔色も、鼻高く、白過ぎたるもの多きばかり、みなよき男にて、江戸ならば気のききたると申すものもみえ、奇麗にて、女の如きわかものもみえたり〉(「長崎日記」)


 これが川路のロシア人評。ようは1か月間、肝胆相照らすといった付き合いをし、〈人情、少しも変らず〉といった結論を得るのだ。違うのは見た目だけ。もちろん習慣も違えば、考え方も違うだろうが、そんなことはきっと川路にとって“小異” なのだろう。

 こんなエピソードがある。川路を気に入ったロシアの使節が、川路の顔を描きたいと言ってきた。


 〈元来の醜男子(ぶおとこ)、老境に入り、妖怪の如くなるを、日本の男子也など申されんも、本朝の美男子のこころいかがあるべく、さて魯戎(※ロシアのこと)の美人に笑われんこといや也、と案外の事にいたし、外(そら)し候処〉(「下田日記」)


 俺はブ男なんだから日本の美男子を代表するように思ってもらっては困る、と笑いで返したのだ。「笑いでそらす」というのは、川路がしばしば用いたテクニックで、これぞ彼の「人間関係力」の源泉だろう。

 〈ロシア側では、この間の川路の手腕を高く評価している〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)のだそうです。


本を読む

『長崎日記・下田日記』(川路聖謨著、藤井貞文、川田貞夫校注)
今週のカルテ
ジャンル日記/記録
時代 ・ 舞台1852~1855年の日本
読後に一言「名言」を読んでください。こんなことを言って、周囲の笑いをとっていたそうです。さすが、です。
効用幕末の外交史の希有な資料です。
印象深い一節

名言
ヲロシヤセンヲロシヤセンとてりきんでも/みろきん玉をつるすものかわ(「長崎日記」)
類書川路聖謨の佐渡奉行時代の日記『島根のすさみ』(東洋文庫226)
川路聖謨の晩年に英国留学中の孫にあてた通信日記『東洋金鴻』(東洋文庫343)
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