第2回 「世襲」はなんと読む? |
今年ほど「世襲」という語がマスコミをにぎわした年はなかったような気がする。国内の国会議員の「世襲」から、国外の国家権力者の「世襲」まで……。
しかし、今回話題にしたいのは、その「世襲制」の可否ではない。この語の読みについてなのだ。
今でこそ「世襲」は「セシュウ」と読むのがふつうだが、かつては「セイシュウ」とも読まれていたことをご存じであろうか。もちろん漢字の読み間違えが多いと評判になり、「世襲制」を積極的に評価している、あの政治家の誤読ではない。れっきとした証拠があるのだ。
試しに、『日国』で「世襲」を検索してみると、関連する項目がいくつか引っかかり、その中に「セイシュウ」「セシュウ」2つの見出し語のあることがわかる。
先ず「セイシュウ」を覗いてみると、引用されている用例はすべて底本に「セイシュウ」のルビがついているものばかり。面白いことに明治初期に集中している。「セシュウ」の方は5例あり、そのうち確実に「セシュウ」と読んでいるものは2例である。読み方に揺れがある場合、『日国』では確実とはいえない読みのものはなるべく例として示さないようにしているのだが、どうしても引用したい用例は、現在の一般的な読み方のところに寄せている。「セシュウ」には明治初年の例が3例載っているのだが、そのうち「セシュウ」という確実な読みの例は一例のみ(「布令字弁」(1870~71))。他の「西国立志編」(1870~71)「開花評林」(1875)は底本にルビがなかったのだが、本当のところはどうだったのか気になるところだ。
漢字の音から見ると、「世」の「セイ」は 漢音、「セ」は呉音で、「襲」の「シュウ」は漢音だから、漢音・漢音になる「セイシュウ」が伝統的な読み方なのかもしれない。
もうひとつ興味深いのは、「世襲」という語の例は古代と近代に偏っていて、中古~近世までの用例が『日国』では見あたらないことである。その時代、世襲制そのものが存在しなかったわけではなかろうから、考えられることは、①用例が見つけられなかった、②当時別の言い方があった、③世襲そのものが当たり前すぎて特別な言い方は存在しなかった、これらのいずれかであろう。
これも気になって仕方がない。